森茉莉と私


大仰なタイトルをつけたが、まあ私の森茉莉に関する個人的な雑感である。
森茉莉フリークが読んだら腹立たしいこともあるかもしれないが、あんまり気にしないように。

●茉莉の最期

6月6日は茉莉の命日だ。私自身はお墓参りには行けなかったのだが、朝からずっと気になっていた。

森茉莉は最期まで独り暮らしを貫き、子供の世話にはならなかった。一日おきにお手伝いの女性が通ってくるものの、最期まで自立した年寄りだったといえるだろう。自立した年寄りになるというのはすごく努力のいることだ。森茉莉はずっと仕事(ドッキリチャンネル)をしていたし、自分の健康に関して神経質なほど注意を払っていた。今ならケア付きの老人ホームに入るという手もあるだろうが、やはり森茉莉に「集団生活」は無理だっただろうと思う。昼でも夜でも煌煌と灯かりをともし、目覚めては紅茶を飲み、原稿用紙に文字を並べ、うつらうつらしてはまた目覚め……という「森茉莉時間」で生きるには、やはり独り暮らしをするしかなかった。

森茉莉のもとへ、死は突然訪れた。ある朝お手伝いさんが森茉莉の部屋へ行くと、茉莉はベッドの中ですでに息を引き取っていたという。死因は心臓発作。死後2日経っていた。茉莉は電話の方に手を伸ばしていたという。助けを呼ぼうとしたのだろうか。誰にも看取られず、1人で死を迎えた森茉莉を思うと冷たい風が胸を吹き抜けていくような感覚にとらわれる。彼女の死がなるべく苦痛のないものであったことを、今となっては祈るしかない。

森茉莉ファンのTくんから貰ったメールを、本人の許可を得て掲載しておく。

   今日6月6日は森茉莉の命日でしたね。こっちは朝から霧雨が降っていて、ちょっと「行くの止めようか
   なあ」とも思ったけれど、結局行って来ました。

   お墓は禅林寺にあります。太宰治の墓もあります。今日は雨だったのでナメクジがいっぱいいました。一
   応、薔薇の花を持っていって、お墓の前に供え田のですが、「そのままおいて帰ったら周りのお墓のよう
   に溶けるように枯れた花になるのかなあ」と思い、結局持って帰ってきました。

   何回いってもなんだか悲しくなってしまいます。でも何回もいってしまうのですが。真ん中に森林太郎の
   お墓があって、その左となりにしげの墓があって、森茉莉の入っている森家の墓が一番左端にあります。


今でもお墓を訪れる森茉莉ファンがいることを、少しでも知ってもらいたいと思う。


●茉莉と杏奴

小堀杏奴は、茉莉の6つ下の妹である。絵を学び画家となった後、茉莉より先に随筆家として名を成す。弟・類の随筆には「於菟と杏奴には名があり、茉莉と僕には名がない。名がないということは生きていても死んでいるということだ。世間も自然、茉莉と類は軽く見てもいいように思っている」と書かれている。(かなりひねくれた弟だ)

茉莉の随筆には、杏奴はお転婆で男の子を引き連れて歩き、子鬼のようになって泣き、おすましして気取っている自分をうんざりさせる存在として書かれている。
一方、杏奴は茉莉のことをいつもお姫様のように着飾った無口な優等生として見ていた。「姉は母の偶像だったが、私は父や弟といつも行動を共にしていた」と自分の随筆に書いている。
歳の差があったとはいえ、茉莉と杏奴はあまり仲が良くなかったのかもしれない。というより、幼い頃から「世界」が違っていたのであろう。

茉莉はおっとりした美しい子供だった。杏奴はお転婆であまり器量の良くない子供だった。2人にとって、最愛の父の死にどう接したかでその後の運命も変わってしまったように思える。
当時洋行中だった茉莉は、直接には父の死を見ていない。病で衰えていく姿も、死んで白い布を顔に被せられた父も見ていない。茉莉の中では、元気だった父の記憶しかないのである。それが茉莉の幸せだった。世の中で一番辛い、見たくないものを見ずにすんだ茉莉は、ある意味「永遠の少女」として生きることができた。

杏奴は14歳で父の死に遭った。女性として、一番多感な時期である。大人と子供との境の時期に、杏奴は日々病に衰えていく父を間近で見続けた。父の死後、杏奴はがらりと性格が変わってしまったという。お転婆で子鬼のようで(おまけにあまり器量も良くなく)手のつけられなかった子供が、14歳の多感な時期に父を亡くし、以来性格が変わったように大人しく、思慮深い女性へと育っていく過程は、痛々しくも胸を打つものがある。

小堀杏奴の随筆「晩年の父」を読むと、杏奴は父を「絶対の存在」とは見ていない。父の中に「弱さ」を見ることができたのも、鴎外の子供の中では杏奴だけのような気がする。
茉莉は鴎外に溺愛されたことのみがアイデンティティの全てになり、最愛の父の死を洋行先で知ると言う幸運な人だった。(愛する者が日々衰え、臨終に立ち会うことの辛さから逃れられたのは、茉莉にとっては幸せだろう)しかし杏奴は衰えていく父に接し、泣き暮らす母を間近で見ていたのである。しっかりするのも道理である。

杏奴もよく父である鴎外にワガママを言ったらしいが、父の寛大さにつけこんでどこまでもワガママを言ってしまう自分に対し、後で自己嫌悪を抱いたりする。ただ溺愛され、ワガママ言いたい放題で幸せだった茉莉には決してなかったこ感情だろう。
鴎外の子供たちの中で、一番繊細だったのは杏奴だったのかもしれない。


●森茉莉との出会い

私が最初に森茉莉の小説を読んだのは、14、5歳の頃だった。
買ったのはもちろん「恋人たちの森」である。めくるめく耽美な世界に圧倒され、ただため息をつくばかりであった。(こういう小説が新潮文庫に入ってること自体、驚きだったのだ。当時の新潮文庫といったら、今の何倍も権威があったんだぞ)
当時の私は倉橋由美子の愛読者で「暗い旅」とか「妖女のように」なぞが大好きで(中学生にしては)かなり早熟な女の子であった。何故倉橋由美子が好きだったかというと、やっぱり「インモラル」で「お洒落」だったからだと思う。(倉橋由美子を語るにしてはかなり乱暴だが許してくれたまい)
倉橋由美子の「インモラル」は近親相姦(兄と妹、姉と弟)で「お洒落」はジャズと哲学だった。
森茉莉の「インモラル」は同性愛(男同士の)で、「お洒落」はファッションとか言葉遣いである。特に森茉莉の「耽美語」とでもいいたい言葉は、あまりに素敵だったので、抜き書きして単語辞典を作ったほどだ。
「洋袴(ズボン)」とか「窓掛(カアテン)」とか「寝台(ベッド)」とか「洋杯(コップ)」とか…。
こういう漢字遣いと、森茉莉の細部にわたって細かく描写するあの文章が「耽美」を存分に味合わせてくれたのだった。

今でも私は「インモラル」で「お洒落」な小説(できれば女の作家の)が大好きなのだが、最近はそういう小説が少なくなった。寂しい限りである。


●好きな小説


森茉莉の小説の中で一番好きなのは「日曜日には僕は行かない」である。映画っぽいタイトルもセンスを感じさせるし、森茉莉の「耽美派少年愛三部作」の中でこれだけが(一応)ハッピーエンドだからだ。それに森茉莉が言っている通り、「恋人たちの森」「枯葉の寝床」はブリアリとドゥロンがモデルだが、「日曜日――」は山田珠樹の友人だった矢田部達郎がモデルである。そのためかちゃんと「日本人同士の恋愛」になっていて、主人公の達吉にはリアリティを感じる。「恋人」と「枯葉」はやっぱり映画を見ているような気分になって(森茉莉はそれを目指したようだが)いまいちのめり込めないのである。
それからもう一点。森茉莉の小説にはちゃんと女性も登場する。「耽美派少年愛」小説であっても、可憐な美少女は出てくるし、凄い奥さんだって出るのである。最近の「ボーイズラブ」って全く女性が登場しないのが多くって、私はあんまり好きじゃない。世の中の半分は女なんだから、女の登場しない小説って、それだけでもヘンだと思う。ちゃんと男と女がいて、世間があって、常識のある世界があって、なおかつ密やかに繰り広げられる「背徳の恋」だからこそ美しいんではあるまいか?

大人になってからは「ボッチチェリの扉」も好きになった。森茉莉は愛らしいコケティッシュな女の子を描くのがすごく上手だ。「フランボワアズ」なんて果物を私はコレで初めて知って、「フランボワアズの色」にずいぶん憧れたもんである。大人になってケーキで食った時には、ちょっとイメージが違ってがっかりしたのであった。


●森茉莉のエッセイについて

「贅沢貧乏」とか「ドッキリチャンネル」を読んで、森茉莉は天性にユーモアの感覚がある人だということがわかり、私はますます森茉莉を好きになったのである。怒って、ぼやいて、エネルギーあふれる森茉莉の「ばあさんぶり」はすごく可笑しい。女性にはユーモアのある文章を書く人がなかなかいなくて、私の読んだ限りではユーモアのある女性作家というのはあと佐藤愛子くらいしかいない。ユーモアがある、というのは「面白いことを書く」「言う」というのとはちょっと違うのだ。

「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」を精選した中野翠は「世間では『耽美派』として知られている森茉莉の別の面を見てもらいたい」と言ったが、最近では何だかイメージが逆になってきたような気がする。「面白いエッセイを書く森茉莉って『耽美派』の小説も書いてたの?」という具合である。それはここ最近、群ようこが「贅沢貧乏のマリア」を書いたり、長年付き合った編集者の小島千加子が「ぼやきと怒りのマリア」という森茉莉からもらった手紙を集めた本を出したり、と「森茉莉周辺本」が賑やかだからかもしれない。
こうなってくると私も天邪鬼な性分なので「森茉莉は面白いエッセイだけの人じゃないやい」と言いたくなる。森茉莉の魅力は「耽美派小説」と「お笑いエッセイ」両方あっての魅力なのだ。この極端な落差が持ち味なのだから、エッセイ読んだら必ず小説も(好き嫌いはあるだろうけども)読んで欲しいと思う。

中野翠は「ドッキリチャンネル」を読んで感動し、コラムニストの道を歩んだ人のようだが、彼女の毒舌ぶりは森茉莉ルーツだったのかと納得した。群ようこの「贅沢貧乏のマリア」は自分と森茉莉の距離の置き方が面白くて(好きだけど、陶酔はしていない冷静な感じ)面白かったのであった。


●ぼやきと怒りのマリア

4月15日の読売新聞の夕刊(文化欄「手帳」のコーナー)に、森茉莉の顔写真が載っていたので何事かと思ってしまった。「ぼやきと怒りのマリア」を編んだ編集者の小島千加子氏を囲んで、祝賀会が神戸で開かれたという記事だった。記事のタイトルは『本音ぶつけた゛永遠の少女"』 …森茉莉にぴったりである。
小島氏は、森茉莉ファンの愛読者のイメージを壊すのではないかと心配したそうだが、書簡を読んでイメージが崩れるようでは真の森茉莉ファンとはいえないであろう。少なくとも私は森茉莉のイメージが補完されて楽しかった。やっぱり「茉莉」は「茉莉」だった。良かったなあと素直に思ったのである。

電話とFAXとEメールの時代、作者と編集者が書簡を交わすことはないかもしれない。時代も時代だったし、森茉莉の電話ギライもあったとはいえ、この膨大な量の手紙はスゴイものがある。それをきちんと取っておかれて、書簡集を出される小島氏は、やっぱり森茉莉のファンだったのだなあと感動する。森茉莉の手紙をきちんと「作品」として評価する編集者の目はやはりプロだ。
小島氏も79歳になられるそうだ。おそらく、森茉莉を語り継ぐ最後の人かもしれない。私も森茉莉に一目逢いたかったなあ。

それにしても森茉莉は、自分の愛読者の少ないことを気にしていたようだ。豪華本を出しましょうと言われても「少ないファンがますます固まるだけ」とか言っていたのには笑ってしまった。読者の裾野が広がって、もっともっと自分のファンが増えて欲しかったのだろう。死後に出されたこの書簡集を見ても「ファンがまた固まった」と思うだろうか。私も「固まったファン」なんだろうなあ。


(1998年6月)