30000アクセス記念企画
森茉莉と健康


どうも。30000アクセス記念企画です。何だか最近あっという間にアクセス増えるんでうかうかしてられません。と言いつつまた遅れてしまったんですが。とほほ。<いつものことだよ
ホントにみなさまいつも励ましてくれて感謝です。そうそう、2万5千アクセス記念で書いた「コルニッションって何?」という疑問にも数名の方からメールでお答えを頂きました。酢漬けきゅうりのことだそうです。ピクルスというのは広い意味の香の物だとか。何でも聞いてみるものですな。教えてくださった方、ありがとうございました。

というわけで、今回は森茉莉の健康状態をちょっと考察。茉莉は自分でも手弱足弱だの蒲柳の質だのと言っておりますが、確かに幼い頃はあんまり丈夫じゃなかったみたいです。でも足弱に関しては親の甘やかしも多分にあるのでわ。
年とって一人暮らしするようになって、茉莉はすごく健康に留意するようになりましたが、そこは何と言っても茉莉なので、注意しだすと突っ走ります。思い込みは激しいわ頑固だわそのうえ神経質だわ、結果として健康法だか迷信だかよくわからない方向に行ってしまったり。「食」や「悪口」にも劣らない森茉莉の世界が繰り広げられるワケです。
今回は『贅沢貧乏』『記憶の絵』『私の美の世界』の3作から抜粋。プラス参考文献として『ぼやきと怒りのマリア』。

では次回、35000アクセス記念企画で逢おう! ……いや、もしかしたら40000アクセスかも……。<こら


 茉莉が百日咳にかかって死にかけたのは5歳の時である。奇跡的に回復したが、この時に安楽死させられそうになったという話は後に茉莉が随筆『注射』で書いた。同じ時期に同じ病気になった弟の不律(ふりつ)は手当てのかいなく死んでしまった。鴎外がこの時のことを書いたのが小説『金毘羅』である。後に鴎外は「死んだ子が一番可愛いような気がする」と言っていたという記述がどっかにあったような気がするのだが出典はちょっと不明。すまん。

 茉莉はとにかくよく転ぶ人であった。茉莉の足弱は有名で、何もないところで転び、バスを下りる時に転び、とにかく良く転んでいる。年をとってからの茉莉は、周囲が危ない危ないと言って手を貸そうとする度に「若い時からこうなんだよ」と心の中で怒っていた。人の好意やいたわりのわからない婆さんである。
 茉莉は小さい頃、とにかく歩かない子供だった。その歩かないことといったらこんな具合である。

 『立派に一人で歩けるようになってからも、馬に西洋人参を遣るといっては馬丁に抱き上げて貰い、菊人形を見に行くと言っては女中に抱かれて出かけた。京都から出て来て家に宿っている叔父なぞが、散歩に伴れて行こうというと、歩き出そうとはしないで立って叔父を見ている。車宿(くるまやど)なり、電車まで、抱いて行ってくれるものと思っているので、今の言葉で言えばつきあい切れない、というような意味のことを叔父が母に言ってこぼしたらしい。祖母は「もう、よう抱けん」といってあやまってしまった。女中は重くて困ったろうが、女中に持ち上げるようにして貰って団子坂の菊人形の人波を見下ろして行くのは愉快だった。』 (記憶の絵)
  
 愉快だったって、そりゃ愉快だっただろうけども。それにしてもである。女学校に上がれば行き帰りは車、遠足はひどく参るので大抵欠席。自分では「軽い小児麻痺が知らぬうちに治癒したのではないか」と書いているが、子供の頃にこんだけ徹底的に歩かない生活してたら、そりゃ骨の発育も悪くなるんじゃないかと思うのだが。
 足だけでなく腕の力も弱くて、自分でも海月(くらげ)のような気さえする、と言うのだが、どうもこの辺の記述には『私はお嬢さま』『私は特別』という雰囲気が見え隠れする。そのへんがうーむ、やっぱり茉莉である。

 そして茉莉の持病として有名なのは腎臓病(腎臓炎)である。これはずいぶん病歴が長くて、発病したのは12歳の時。

 『十二歳の時に千葉の別荘で、下女を供につれて毎日別荘の下にあった夷隅(いすみ)川に入り、足を水の中に漬けっぱなしで、午前と午後と前後各三四時間、蜆(しじみ)取りに熱中した魔利は、一週間後帰京した時には、もともと大きな顔の大きさが二倍になっていた。両国駅に出迎えた母親の多計が青くなった。「奥さま、お嬢さまはお丈夫におなりになって、こんなにお太りになりました」
 と鼻高々にいう下女の言葉に小耳もかさず、多計は魔利の手をひいて、人力車に乗せて連れて帰った。』 (贅沢貧乏)

 ちなみにこの時茉莉は、ひたすら安静にしてサイダーを1日に大きなコップ4杯も飲まされるはめになる。飲めなくて困っていたら妹の杏奴が、女中がサイダーを置いて行くや否や電光石火部屋に飛び込んで来て、たちまちサイダーを飲み干してくれたと言う。治療にも何もなりやしないのであった。

    『その時以来腎臓炎になって、それが長期の慢性になっている魔利は、夜中に必ず手洗いに立つ。』 (贅沢貧乏)

 年を取り、夜中に手洗いに立ちたくない茉莉は、何とかしたいと思うあまりに死ぬかと思うような経験をしてしまう。
ある時茉莉は新聞の広告に出ていたクロロなんとかという新薬を、考えに考えた末に購入する。しかし小心者の茉莉は新薬なのですごく効く、というので用心して12歳以下は2分の1、とあるのを4分の1に減らして服用。そして就寝。ところが夜中に目がさめると、心臓が破れそうなほど激しく鳴っていた。どれくらい激しいかと言うと『首の付け根から頭の中までが一緒に音がするほど』ズキンズキン鳴るというのだから大変である。
 茉莉は驚いて恐怖したが、ちょっとでも動くと心臓が破れるのではないかと思うので結局は起きることもせず、1晩中天井を睨んでじっとしていた。このまま死ぬのなら死ぬで仕方ないと覚悟を決めたという。殊勝な心がけである。

  『もしこの薬を、私(あたし)より以上に心臓の弱い、又私より年よりの人が飲んだら一体どうなるのだ、と、自分以外にはありそうもない馬鹿者を想定して魔利は怒った。そうしてその丸薬を買った薬屋に抗議に行ったらしい。ところがその薬屋の、色の生白い、魔利のもっとも嫌いな質(たち)の美男の店員は、言った。
 「あの薬は今デエタを集めてるんですよ」
  冗談じゃないわ。それじゃあ私はモルモットじゃないの。絶対許しておけない。新聞に出して警鐘を鳴らそう。と例によって独り言で威張っていたが、その日の内に忘却してしまった。』 (贅沢貧乏/黒猫ジュリエットの話)

 全然忘れてないじゃないか。しかしこれは危ない話である。薬の副作用というかアレルギー反応というか、そういうものではないかと思うのだが、黒猫ジュリエットの言じゃないがファンとしては『変な薬を飲んで急死されるのは困る』のである。

 茉莉は心臓や腎臓に故障を抱えながら、一人暮らしを貫くために健康にはかなり気を使っていた。妙な健康法とか健康食品とかにも手を出していた。しかし一日に摂取しなければならない15種類の栄養というものを設定して、仕事が忙しくて食事を抜いたりすると夜中でも起き出して食事の仕度を始める、というのは脅迫神経症に近いのではないだろうか。身体にいいと聞くとほうれん草を一把、一度に食べてみたり、キャベツの千切りをボウルに山盛り食べてみたり、どうも茉莉のすることは極端である。
 熊笹のエキスを愛用していた時は飼っていた黒猫にも与えた。猫はそのせいで興奮して夜中じゅう飛び回り、ゴハンを食べないので痩せてきた……と書いているのはどうなのだろう。猫に熊笹エキスが害にならないのかどうか、ぜひ専門家に聞いてみたいところである。
 また柿の葉が腎臓にいいといっては担当編集者に大量の柿の葉を無心した。冷蔵庫に蓄えておいて、刻んで鴎外直伝の薬に混ぜて飲むのである。柿の葉エキスが身体にいいとは聞くが、そのまま生で刻んで飲むというのはちょっとスゴい。柿の葉寿司の葉っぱだって普通は取るぞ。編集者に無心するだけでなく、田舎に住んでいるという草野新平に手紙で無心し、近くに住んでいた矢川澄子に無心する。書簡集なんか読むと、すごい執着ぶりなのだ。ある意味信念の人である。……ちょっと怖いけど。

 他に愛用していたのはアリナミン(あのアリナミンならビタミンB群か)やパント(これは何だ??)グルタミン、エビオスなど。グルタミンというのはグルタミン酸ソーダの入った栄養剤で、頭が良くなるから試験勉強中の学生に好適という広告が当時あったらしい。茉莉はこの壜のラベルに「脳養素」と書いて友人に笑われた。小説が良く書けるおまじないに服用していたというから茉莉もいろいろ苦労していたのである。きっと今ならDHAだのプロポリスだのを服用する健康食品大好き婆さんになっていたに違いない。
 エビオスは今でもあるビール酵母。実は私の家にもある。栄養補給とか胃腸の弱ったのにも効くと効能書きにある。私は水で飲み込めないので噛んで食べているがそんなに不味くはない。齧ると粉っぽくて麦の味というか麦こがしの味がするのだが、ビール酵母なんだから当たり前か。

 茉莉は極端に怖がりなので、ちょっとの怪我や病気でもすぐにドキドキする。食いしん坊で好きなものがあると大喜びで頬張り、大きな塊にして咽喉に押し込むので通りが悪くなると食道癌かと思って恐怖する。銭湯に行って、遠くの鏡に映る自分の姿を優美だと思って密かに悦に入っていたところ、TVで乳癌の詳しい見分け方をやっていたので怖くなって鏡が見られなくなる。この辺まではまあ巷の普通の婆さんにもいそうだが、加えてこういう話もある。
 よく転ぶ茉莉はある時駅の階段を十段くらい転げ落ちたが、転び上手になっているためどこも大して打たなかった。ただ手首の静脈が小さく、瘤(こぶ)のように持ちあがった。痛くはなかったらしいが茉莉はその瘤が気になって、まっすぐにアパートへ帰る気になれず、行きつけの喫茶店へ寄った。そこでその日初めて逢った若い女の人が一緒に病院へ行ってくれるというので茉莉は近所の小病院へ行った。するとそこは耳鼻科の医者で、白衣を着たそこの婦長に「ここは耳鼻科ですよ」と冷然と見下ろされた。
 茉莉は例によって怒り、『夜中に急病人が病院をたらい回しにされて死ぬというが、確かに急病人になって病院を回ると言う事は死に繋がることだとつくづく知った』と書く。相変わらずいきなり話を大きくする人である。

  『耳鼻科だろうとなに科だろうと、医者というものは、各科とも基本教育は受けている筈だ。手首を押さえて心細そうな女の人に、一寸手首を見て、(何でもないですよ。私は今忙しいけれど看護婦に沃土丁幾(ヨオドチンキ)でも塗らせましょう)と言って呉れる位の思い遣りが持てないというのは困ったものである。私は父も兄も医者で、夫も大学病院と同じ廓内にある役所に通勤していたから、自分を見知らぬ医者というものに出会ったことがないので、その時は一驚した。どの病院の人間もたった一目私の手首を見ようとはしなかったのである。』

 って、それは自分を大事に、特別に扱ってくれなかったから怒っているだけなのではあるまひか。

 『静脈の一部が、小豆粒位脹らんだからと言って、自分より三十歳位も年下の女の人に伴(つ)れられて病院に行くこっちが莫迦だといえば、たしかにそうなのだが。』

 本当は自分のことを莫迦だとは思ってないくせに正直に言え森茉莉! あー。こういうところも好きだなあ。

 しかし茉莉を診る医者は、本当に苦労するのである。茉莉は子供の頃からの甘いものの食べ過ぎで、三十代になってから上の歯が真っ黒に欠けてきた(!!)のである。母親が煩く言うので仕方なく歯医者に行くことになったのだが、怖がりの茉莉にとっては歯医者というのは死刑場と同じなのである。一人では心細いので、中年の家政婦に一緒に付いて行ってもらったり、家政婦が都合の悪い時は正ちゃんという母親の碁の相手に来る14歳くらいの男の子に付いて行ってもらったりした。
 茉莉は極度の緊張と恐怖のために歯の治療の途中で卒倒に近い状態になることがあった。診療台から下りて部屋の隅にある椅子に行こうとして、その椅子に手をかけたかと思うとへなへなとうずくまってしまう。歯医者が「おや」と驚いてコップを持ってきて中のものを茉莉に飲ませた。気付け薬かと思って茉莉が飲んだら、中身はウィスキイだった。

 茉莉の歯を治療したのは鈴木操というアメリカに10年いたというベテランの歯科医だった。しかし茉莉の治療は困難を極めたものであった。診察室でへなへなと腰砕けになるくらいならまだいいが(いいか?)母親からは「治療が二分続きましたら一寸休んでくださいまし」という電話がかかってくるし、予約の時間には絶対に来ない。

 『或る日、鈴木さんは言った。「森さん、アメリカではこんな、子供でも(と、手で小さな子供の背丈を示して)何時と言えばその時刻に戸を開けると、そこに立ってますよ」。しかし何といわれても糠(ぬか)に釘である。その時は、なるほどと思うのだが、出かける時になると(大抵大丈夫だろう)という、長閑な精神状態になるのである。その上死刑椅子と、嬉しそうな死刑執行人の顔を想い浮かべると、足は速くは動かないのだった。』 (記憶の絵)

 これも大いに突っ込みたいところだが、実は私も大の歯医者嫌いで治療台の上で貧血を起こしたり、予約時間になってもぐずぐずしていたりしているので、あまり偉そうなことは言えないのであった。歯医者なんて大嫌いだあああ!!

 茉莉は後年、『近眼で乱視でその上老眼らしいが、新聞が読めるので放ってある』と書いた。四十歳の時に誂えた眼鏡は合わなくなっていたらしい。昼も夜も電灯をつけっぱなしにした殺人光線の中で新聞を読んでいた。
 耳もだんだん遠くなった。電話が鳴っているのにも気がつかず、電話を取っても相手の声が聞こえないといっては電話局(当時)に文句を言っていたらしい。

 年をとるのは辛いことだ。どんなに健康に注意しても、避けられない運命がある。茉莉が死後2日経ってお手伝いさんに発見され、新聞に『孤独の死』と書かれたことを思うと胸が痛くなる。茉莉が自分の健康について書いた時、自分の死はまだまだ遠かった。もっと遠ければ良かったのにと、私は甘苦い気持ちで思うのである。