森茉莉について


 今でこそ「ボーイズラブ」だの「JUNE」だのと百花繚乱の時代だが、かつて少女であったワタシらの世代にとって、森茉莉といえば耽美派少年愛小説の元祖であった。

森茉莉は文豪・森鴎外の長女である。
森茉莉はすっげえファザコンで、とんでもなくお嬢様であった。二度の結婚を経て独身に戻り、エッセイや小説を書き始める。
小説を書いていなかったら、この人はどうやって生きていたのかと疑問に思う。
それくらい森茉莉は、社会生活不適応者の「お嬢様」であった。

森茉莉という人は、リピートしながらものを書いていく。
要するに、「小説が書きたい」わけではなく、「書きたいものが書きたい」だけなのだ。
だから彼女の少年愛小説は、みんな似ている。
「恋人たちの森」も「枯葉の寝床」も「日曜日には僕は行かない」も、みな大学教授のエリート美青年と、美少年の物語だ。
ため息を吐くしかない、耽美で華麗でエロティックな関係が、森茉莉の美意識によって構築されている。
それはもう、「様式美」としか言いようがない、「森茉莉の世界」なのだ。

小説だけではない。
エッセイもまた、リピートにリピートを重ね、同じことを繰り返し書いている。
森茉莉のエッセイは、大きく分けて3つのテーマがある。
曰く、「自分がいかに父親に愛されていたか」「自分の好きなもの」「ばあさんになった自分」である。
森茉莉は自分が父親に溺愛されて育ったことがアイデンティティの全てだったようで、とにかく自分と父親の関係を自慢しまくる。
あれは恋愛だった、とかパッパ(鴎外のこと)は一番の恋人だった、とか書いて書いて書きまくる。
泥棒をしても怒られなかったとか、嫁入りする頃になっても父親の膝に乗っていたとか、肉を切ってもらっていたとか。
常人の理解を超えた関係も、これでもかとやられるとついには「様式美」の世界になる。
「様式美」となった父と娘のべったべたの生活は、「甘い蜜の部屋」に小説として描かれる。
これは小説ではあるが、私小説でもあると思う。

「自分の好きなもの」は、まだ理解しやすい。
美しいものと美味しいものが大好きだった森茉莉は、ファッションとか料理に関しては一家言持っていた。
また、若い頃に夫と行ったフランスは森茉莉の第二の故郷のようなもので、何かと言うとフランスを持ち出す。
パリではどうだったとか、パリではこうだとか、しまいには自分を「フランス人」だと言い出すほどである。
夫の洋行に付いていった少女のような新妻にとって、どれだけフランスが眩い別天地であったか。
文字の間から時代が香ってきそうな文章は、やはり森茉莉にしか書けないだろう。

森茉莉は、ユーモアの素質豊かな人でもあった。
特に、自分自身を見つめる目は、冷静かつ的確なものを備えている。
「贅沢貧乏」はお嬢様から一転、市井の婆さんになった自分が、生活を切りつめながらいかに「精神の貴族」としての暮らしをしているかを書いたエッセイだ。
缶詰の洋食を食べ、チョコレェトを毎日1つずつ食べ、お金に替えるものがなくなると畳を剥がして売りたいなあと思う。
何をするにも非力で要領が悪く、人の何倍も時間をかけて家事をする。出歩けば道で転び、出先にはバッグを忘れてくる。
この辺りの、自分を肴にする手加減は、やはり森茉莉ならではのものだろう。
漱石先生の向こうをはったのか、「黒猫ジュリエット」という、飼い猫から見た自分の姿を描いた一編もあり、これも無類に可笑しい。
夜中に、飲んだ薬のせいで心臓がドキドキして破裂しそうになり、観念して天井を睨んでいたというのはいかにも森茉莉である。

歳をとるにつれて、森茉莉はワガママと思い込みが激しくなった。
週刊新潮に長いこと「ドッキリチャンネル」というTVの番組についてのコラムを書いていたが、これは森茉莉の偏屈ぶりと好き嫌いの激しさが魅力だった。
タモリはキライで忍者ハットリ君は好き。何とか言う女性アナウンサアはキライだと書いたら、本人がそれを読んで「好き嫌いは仕方ありません。私は森茉莉先生のお作をいつも拝見しております」と言ったのをまた聞きして、ますますその本人がキライになった、などと書くのは森茉莉しかいないだろう。
好きなものは好き、キライなものはキライ。気持ちいいほどはっきりした人だった。

森茉莉は1987年6月6日、経堂の自宅で死んでいるのをお手伝いさんに発見された。
死後2日経っていたという。孤独な死だった。

少年愛、という言葉は森茉莉と共に消えていった。
森茉莉はほんの僅かの季節に咲く、美しいひとつの花だったのである。