NHK高校講座国語T
三つの頭の怪物


 これほど教科書とか副読本とかに不向きなものもないんじゃないかと思う森茉莉の文章を、よくぞ取り上げたもんだよNKK。
 ってことで、聞いてみました。2月27・28の両日にラジオで放送されたんですが、いやもう時間が短いのなんのって。1回20分しかやらないんすか、高校講座。イマドキの子供はそんなに集中力ないんすか? せめて1時間くらいやれよなあ。チッ。
 テキストもこのために1000円で買っちゃいました。1年間真面目に国語の勉強してきて、最後に森茉莉じゃあ、やってきたことが無駄になりゃしないか高校生? ちょっと心配しちゃったことだよ。
 あまり役には立たないと思いますが、感想です。


 
 ええと、テキストに取り上げた茉莉の『三つの頭の怪物』という随筆ですが、何が「三つの頭の怪物」なのかと言いますと、テレヴィ・ラジオ・映画のことなんざんす。世の中にはテレヴィとかラジオとか映画とかいうものがはびこっていて、それが四六時中ガンガン喧騒を撒き散らしていて、人工的なものを見せて、人々から自然を楽しむ優しい心を失わせてしまった。人々は小説の中に文学を探さなくなり、楽しさを自然の中に探さなくなるような気がする。……って内容です。
 短い文章なんですが『失われて行くもの』の例として出てくるのが、ロオデンバッハの歩いたブリュウジュの町とか、永井荷風の「墨東綺譚」とか、モウパッサンの「オルラ」とか、もうもうオレは森茉莉だぜェッッ!!という自意識丸出しの、森茉莉をちょっと知ってる人が読むと笑っちゃうような文章なのでありました。いや、笑うとこじゃないんですが。

 始めにNHKのアナウンサアの女の人が文章を朗読してくれたんですが、ホントに森茉莉の文章ってのは眼で読むもんであって、朗読聞くもんじゃないなあって思いましたです。あの独特の句読点の打ち方をそのまま忠実に読み上げると、もんのすごく朗読下手な人みたいに聞こえるんですわ。つっかえながら読んでるというか、読めなくて黙っちゃったんじゃないかと心配になるというか。カセット文庫にはならないよなあ、やっぱり。

 で、何で森茉莉の文章をテキストにしてるかというと、これから「文章表現の多様さ」を学ぼうという趣旨なんでした。文章にも個性があるってことを学ぶために取り上げてるんですが、しかししかし「どんなスタイルの文章をも作り出す自由を、私たちは持っていると言えるのである。(←テキストより)」って言っちゃうのはすげえ乱暴な気がするんですけど。

 森茉莉の文章表現の要素(←テキストより)
●多様な比喩表現(タイトルがすでに比喩。何がなんだかわかんないけど)
●独特な句読点の使い方(「で、あった」とか。例の森茉莉節
●変幻自在の文章の長さ(前半は一文が短く、後半どんどん長くなってくる。……くどいっす)

 ということになるらしいんですが、笑ったのは句読点の使い方で、「〜で、あった。」とか茉莉が書くアレを『妙な場所に読点が打ってあるが、誤植ではない。』と書かれているところだったり。なんかもう可笑しくって可笑しくって、身内の話を外で聞くみたいなくすぐったさを覚えてしまうワタシは重度の森茉莉マニア。

 大真面目に『本当に、文章はどのようにでも書くことができるのだ。』とか言われちゃうと、恥ずかしさは沸騰点に達してしまって、思わずラジオに向って「だーめだって、そんなに誉めちゃあ」と身悶えしてしまいましたさ。子供は森茉莉学んだりしちゃダメっす。お勉強で森茉莉読んじゃダメっす。でもNHKのテキストに取り上げられたりして、すごいじゃん、流石じゃん、と密かに喜んでいたりもするワタシでした。てへへ。

 この『三つの頭の怪物』は、茉莉が随筆家としてデビューしてすぐの頃の作品。こんなにテレヴィや映画を悪し様に言ってたくせに、映画マニアになったり、晩年『ドッキリチャンネル』でTV大好き婆さんになるんだから人ってわからないものであることだよ。そういうところも大好きだけどさ。

 以上、マニアの人には大笑いできる講座でした。(趣旨が違うけど)
 ありがとうNHK。頑張れよ、高校生諸君。